あるまじろの読書日記

「なぜ、本を読むんだい?」「そこに本があるからさ!」興味のあるテーマは歴史とサイエンス。アラサー。関東在住。文章力が低く時折エラそうな書き方になりますが、どうかご容赦ください。( ̄ー ̄;

決定力を鍛える

              

旧ソ連に生まれたチェスの元世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフの本。カスパロフの名前が最近登場したのは、囲碁の世界で人間VSコンピュータが大々的に報道された時だろう。チェスでは囲碁よりずっと前から人間VSコンピュータの対戦が行われていたが、敗れたのがこのカスパロフだからだ。(もっとも、全く歯が立たなかったわけではないらしいが)

コンピュータが人間を超えた時、世の中はどうなるのか?という問いかけは最近至る所でなされているが、チェスの世界ではいち早くその変化が起こった。カスパロフの敗北以降、チェスの世界ではコンピュータを活用することが当たり前になっている。コンピュータの指し示す手をどれだけ取り入れられるかが勝利のカギになるからだ。

コンピュータが圧倒的に強くなったからと言って、チェスの人気は全く衰えていない。日本では将棋や囲碁の方が人気が高いが、西洋では圧倒的にチェスの方が人気だ。ちなみに世界のチェスの愛好者数は7億人だという。将棋のプレイヤーが1200万人程度だというから、その規模の大きさには驚くほかない。僕も最近チェスの歴史に興味を持ちチェスを覚え始めたが、恐らく短時間で気軽にプレイできるのが人気の秘訣なのだと思う。将棋や囲碁も面白いが、覚えることが多くてとっつきにくさはある。

さて、そのチェスの世界で頂点に立ったカスパロフはまぎれもなく「天才」である。200近いとも言われるIQなど地頭の良さも確かにあるが、それだけではない。彼は歴史に明るく教養人でもある。現在はロシアで反プーチン寄りの政治家として活動しているが、政治家としても一流のようである。分析の深さ、合理的精神、視野の広さなど、見習うべき点はたくさんある。

カスパロフは、まず自分の無意識を意識化することから始めるべきだと説く。すなわち、無意識の内に行っている思考や行動の組み合わせに注目し改善していくことが、自己成長プロセスにつながるという。簡潔に言えば「反省」ということになるのだろうか。しかし、カスパロフが説いているのは日常によくある形式的で安易なものではなく、真剣かつ深い反省だ。僕もこれには思い当たることがある。仕事で同じ間違いを繰り返したり、上手くいかないことが続いた時は、いつも頭を使っていないのだ。考えるのが面倒だから、適当にやって失敗する。逆に上手くいった時は、冷静に状況を見極めて、適切な準備をしていたと思う。

仕事上で誰かに教えることもあるが、他人を見ていてもそう感じる。失敗を繰り返したり上手くいかない状態が続く人は、あまり頭を使って考えていないように思える。大事な時こそもっと真剣に、合理的に分析を行うべきなのだ。

本書にはそのためのノウハウが詰まっている。

チェスに関心がない人でも読める作りになっている。10年近く前の本だが、特に頭を使う仕事をしている人にとっては間違いなく勉強になるので、是非読んでみて欲しい。

森の生活

        

ここのところ似たようなテーマの本を紹介しているが、これはその代表作。

日本人でヘンリー・D・ソローを知っている人はどれくらいいるだろうか。アメリカでは知らない人はいないほど有名な人物である。彼は1800年代アメリカ、ボストン近郊のコンコードという街に住んでいた。産業革命により目覚ましい発展を遂げていた成長期のアメリカにおいて物質史上主義の社会に異を唱え、自然的でシンプルな生活スタイルを説いた。

彼は実験的に2年半あまり街の郊外にあるウォールデン湖の近くに居を構えて自給自足的に暮らしたが、本書はその時の体験と彼の思想を綴ったものである。ソローはこの生活を通じて、6日働いて1日休むという当時の労働習慣を批判し、1日働いて6日休むという生活が可能なものであることを証明した。

ソローは贅沢な暮らしに対してとことん否定的だ。人生のほとんどを労働に捧げて、豪華な家や娯楽を手に入れても、それが何になるのかというのがソローの考えだった。人生の楽しみは自然や古典の中あると説き、多くの時間を自然探索や読書に費やした。こうしたソローの考え方は当時の人たちに大いに批判された。

しかし時が経ち、世界は労働時間削減の方向に向かっている。仕事=人生と本気で考えているのはタフに働く起業家くらいのもので、家族との時間や趣味の時間の確保など、ワークライフバランスの重要性が認識されている。(もちろん、途上国の貧困層はそうはいかないが)

フィンランド、オランダ、スイスなどではベーシック・インカムの導入が真剣に議論されており、実験も行われている。日本でもシンプルライフとかミニマリストという言葉が出てきたり、地方移住がブームになったりしている。ようやく時代がソローに追いついてきたとも感じる。

ただ、日本では未だにブラック企業や過労死の問題などが後を絶たないのも事実だ。

日本の労働至上主義信仰は根強いものがある。働き続けて死ぬ人生に何の意味があるのかと個人的には思うし、恐らく大多数の人もそう思ってるはずだが、強い集団意識によって抜け出しにくくなっているのは事実だろう。

東日本大震災当時僕は福島にいたが、震災当日の夜からコンビニやスーパーで「買い溜め」が流行った。一人暮らしの僕などは「そんなに買い込んで一体どうするの」と思ったし、実際のところかなり大げさな動きだったのだが、多くの人は計算してやっていたわけではなく、みんながやっているからやっていただけなのだ。先行きが見えない不安の中で、周囲の流れに遅れまいと動いていただけだったのだ。

日本人の多くが労働至上主義のパラダイムから抜け出せないのも、これと同じなのだと思う。みんな合理的に考えて働いているわけではなく、単純に不安なのだ。仕事を辞めてもすぐ食えなくなるわけではないが、不安だから働く。みんなが働いてるから働く。白い目で見られたくないから働く。まるで宗教のようなものだ。その不安心理をうまく利用して過酷な労働を強いているのがブラック企業だ。逆に、スペイン人などは失業中でも平気でサッカーの応援を楽しんでいるという。人生観が根本的に違うのだ。

しかしそれでも、今後は若者を中心に日本人の働き方が変わっていくのは間違いないと思う。そんな中でソローは、日本で今後大ブームを起こしそうな人の1人だ。彼は労働至上主義、物質至上主義に対して明確なNOを示し、その代わりとなる生き方を提示している。そう遠くない将来、間違いなく再評価される人物だと信じている。ソローの考え方は賛否両論あるのは間違いないが、仮に賛同できなくても社会の在り方を考える材料にはなると思う。

ロビンソン・クルーソー

             

ダニエル・デフォーによる最高傑作『ロビンソン・クルーソー』である。前回レビューした『十五少年漂流記』と同じく、無人島に漂着した男の物語である。時系列的には『ロビンソン・クルーソー』の方が先であり、『十五少年漂流記』はその影響を受けて創作されたものだ。これ以外にも無人島系の小説や漫画などはたくさんあるが、多かれ少なかれ『ロビンソン・クルーソー』の影響を受けている。『森の生活』などで有名なアメリカに思想家、ヘンリー・デイビッド・ソローの作品にも近い匂いを感じる。

子供向け版を昔読んだ記憶があるが、僕のように子供の頃に読んだ人も少なくないと思う。子供心にもワクワクして面白かったが、大人になってからだとまた違った印象を受けた。ロビンソン・クルーソーの物語は完全なるフィクションではあるが、現代人の思考や習慣に極めて大きなメッセージを投げかけてくれている。それは人間の労働と生活の本質に関するものだ。

無人島に一人で流されたクルーソーは、最初こそ絶望感に打ちひしがれた様子だったが、やがて冷静になって自分の状況を考察し始めた。自分の幸福な面と不幸な面を簿記の貸借対照表のような形式で書き出し、絶望的な状況下にあってもなお幸福な面の方が多いことを発見した。こうして気力を取り戻したクルーソーは、無人島で生き延びるための行動を始めた。

彼はまず蛮人に見つからない安全な場所に住居を構え、狩猟採集で食料を確保することを覚えると、次いで生活に役立つ道具を作り始めた。苦心の末、肉を煮るための鍋や保存用の土器、衣服まで自作できるようになった。

クルーソーはさらにヤギの牧場を作って牧畜することを学び、ヤギの乳からチーズやバターまで作れるようになった。極めつけは農耕を始めて大麦を栽培し、パンを自作できるまでになった。こうしてクルーソーの無人島暮らしは安定したものとなっていった。

無人島ではマーケットもなければ物々交換も不可能なので、必要なモノは自分の時間と労力を投入して手に入れなければならなかった。クルーソーは毎日の行動計画を立て、自分の限られた時間と労働力を効率的に各作業に割り当てていった。このクルーソーの行動は人間の経済活動の基本として経済学の講義で紹介されることもある。カール・マルクスの『資本論』にもロビンソン・クルーソーが登場する。

ちなみに、クルーソーは生活に不自由がなくなるとそれ以上のことはしなかった。(余った食物は捨てるだけだし、家畜も多すぎるとと管理が大変になる)クルーソーは余暇を無人島脱出のための準備に充てたり、聖書を読んだりして自由に過ごした。

ここで面白いのは、原始的で孤独な無人島生活をしているクルーソーが、高度な文明社会で日々労働に励む我々よりもずっと充実していて、自由があり、満たされているように見えるところだ。作者のデフォーも敢えてそのような書き方をしているフシがある。

クルーソーは無人島とは言え島の完全な支配者であり、王であった。そして、全ては彼の自由意志において決定することができた。クルーソーの行動と我々の行動は、その質が大きく違う。従業員なら必ず組織の方針に従って行動しなければならないし、経営者でも王のように独裁権力を振るうことはできない。利害関係者なども含めると、基本的にはとても不自由なものである。クルーソー的な自由の獲得は現代人にはとても難しい話なのだ。

さらに、資本主義発展の本質でもある利益最大化という目的のために、労働時間は自然と増えていく。AIの進化によって将来的には労働時間が減るという人がいるけれども、僕はそうは思わない。労働時間は今と同じか、むしろ増えるかもしれない。我々が生きている経済はパイの奪い合いそのもので、技術進歩は原始的な奪い合いから知的な奪い合いへの転換でしかない。もちろん、各個人が生活レベルの低下を許容できるなら労働時間は減らすことは可能だと思うが。

クルーソーは島から脱出して故郷のイギリスに帰った後しばらくのんびり暮らしたが、周囲の環境になじむことができなかった。そして、人生最大の不幸だと思っていた無人島生活こそが、実は人生の最も充実した期間だったことを知った。クルーソーは自分の心の中の衝動を抑えることができず、ついに再び島に戻っていくのであった。そしてその後、世界中を冒険してついに人生の終わりを迎える。

ロビンソン・クルーソー』が長く親しまれてきたのは、冒険的な要素もさることながら、クルーソーの無人島生活を通じて描かれた生活や労働の本質に共感した人が多かったからではないかと思う。今読んでも古臭く感じるどころか、むしろ21世紀人の苦悩をはっきり見通していたのではないかと思えるほどだ。文句なく、面白い。

ちなみに岩波文庫のものは上下巻になっているが、上巻が無人島編、下巻は無人島脱出後を描いている。昔読んだ子供向けのものもそうだったが、無人島編だけで『ロビンソン・クルーソー』の物語として終わらせているものも多い。それというのも、無人島編が圧倒的に面白いからだ。これで言うと下巻に当たる脱出後のエピソードは、はっきり言って上巻ほどは面白くない。もちろん、帰国後のクルーソーの内面の葛藤から再び島に乗り込んでいくところなど見どころはあるのだが、全体的に退屈である。上巻だけでもじっくり時間をかけて読んで欲しい。

十五少年漂流記

             

フランスの作家ジュール・ヴェルヌが書いたあまりにも有名な冒険小説。

小中学生に勧めたい小説を挙げるとしたら、僕は真っ先にこれを挙げるだろう。この作品には「少年らしさ」の全てが凝縮されていると言っていい。内容としてはデフォーの『ロビンソン・クルーソー』に似ているが、こちらは登場人物の大半が子供であることが特徴だ。

この作品の面白い所はたくさんあるが、個人的には以下の点で評価したい。

①登場人物の個性

冷静で博識なゴードン、正義漢の強いブリアン、高慢だが勇気のあるドニファンなど、十五人の少年それぞれに違った個性があり、それが物語を彩っている。彼らが自分たち能力を発揮して集団生活を支え、困難に立ち向かっていく様子に強く惹きつけられる。こうした登場人物を生み出したのが、当時60歳を過ぎた老人ヴェルヌであったことは驚くべき事実だ。

②少年同士の友情

10代の少年にはケンカがつきものである。彼らも何度も対立し、反目し合う。しかし、大きな困難を乗り越える過程でお互いを認め合い、友情を深めていく。展開としてはありきたりかもしれないが、本当の友情とは困難な状況においてこそ育まれていくものだと教えてくれる。

③前向きな精神性

物語中一貫しているのは少年たちが終始前向きであることだ。彼らは決して悲観したり投げやりになることがない。困難を前にしても臆することなく、開拓者精神を発揮して行動する。少年たちはイギリス人、フランス人、アメリカ人で構成されているが、当時世界を支配していた国々の理想的な精神性が投影されている。

④人類発展の縮図

彼らはまず住処を見つけて定住し、必要な食料や燃料を十分に確保した。次いで様々な工夫をこらして生活の向上を図った。一方で選挙を経て組織のリーダーを選出し、やがては教育にも力を入れた。これはこれまで人類が辿って来た歴史そのものである。ロビンソン・クルーソーもそうだが、彼らの行動は人類発展の歴史を凝縮している。

⑤想像力を刺激する描写

ジュール・ヴェルヌは『海底二万里』『八十日間世界一周』などの作品でも有名だが、特有なのはその情景描写である。彼はどうして行ったこともない島の植物や動物、自然環境について鮮明に描写できたのだろうか。元々物理学や生物学などの自然科学の本を読み漁っていたということだが、それにしても見事という他ない。読み進めているだけで、十五人の少年と島の様子がはっきりと脳裏に浮かんでくる。

この素晴らしい物語の最後をヴェルヌはこのように締めくくっている。

全ての子供たちによく知っていて欲しいのだ。秩序と熱意と勇気があれば、たとえどんなに危険な状況でも、切り抜けられないものはない、ということを。

 

ちなみに、大人が読むとまた違った感動が得られる。

 

 

ノーベル賞受賞者特別寄稿・好きなことをやれ!!

              

欧米のノーベル賞受賞者の伝記が詰まった本。何と集英社出版で、週刊少年ジャンプ特別編集である。20年以上前の古い本で、恐らくほとんどの人が知らない本だが、とても読み応えがあり価値の高い本だと思う。仮になくしたら、1万円払ってでも買い直すと思う。(amazonで見たら実際は中古で500円程度だったが)

この本を読みなおした理由は、今日の大隅良典東工大栄誉教授ノーベル賞受賞会見を見て珍しく怒りを覚えたからだ。もちろん、大隅教授に怒りを覚えたわけではない。僕も東工大で研究していた時期があるため、分野は全く関係ないけれども、受賞は素直に嬉しかった。

怒りを覚えたのは、とある記者に対してだ。彼は大隅教授に「教授の研究は何の役に立ちますか?」と質問したのだ。正直言って、あまりのレベルの低さに呆れ果てた。彼は一体どんな答えを期待して質問したのだろうか。大隅教授は大人の対応をしていたが、こんな質問には「分からない」「何かの役に立てばいいですね」としか答えようがない。

最近は何かにつけて打算的に、役に立つかどうか、金になるかどうか、成功か失敗かでしか判断できない人が増えているような気がする。やたらと人の感情や劣等感を刺激する広告宣伝の影響だろうか。純粋な学問探究はどんどん遠ざけられている。

なぜそこまで役に立つかどうかにこだわるのだろうか。すぐ役に立たないものには価値がないとでも言いたいのだろうか。いや、そもそも役に立つか否かの判断なんて今すぐにできるのだろうか。

例えば、古代ギリシャプラトンアルキメデスアリストテレスは自然や物事の本質を探究した。その中には正しいものもあったし、間違いもあった。しかし恐らく当時の人たちの役には立たなかったはずだ。円の性質がどうこう言ったところで金にはならないし、メシが食えるわけでもない。

では、この3人が残したものには意味がなかった?

そんなことはない。時代が大分後になって、彼らの研究をさらに進めた人々が新しいものを生み出しもしたし、彼らの間違いをもとにして新しい発想が生み出されもした。どちらにせよ、意味はあったと言えるのだ。

それに、この3人は社会の役に立つかどうかなんて考えていなかったはずだ。

彼らが人々の役に立つかどうかを考えていたなら、円の性質もイデア論も「どうでもよい」ではないか。彼らの中にあったのは純粋な探求心、好奇心、興味であり、それが思考の原動力だったはずだ。彼らは科学者ではないが、未知の物事を探究していく姿勢は科学者的だったと言える。

役に立たなくても、金にならなくても、失敗でも良い。

ノーベル賞のような栄誉ある賞が受けられなくても良い。

新しいことをやる人には、それだけでも十分価値がある。

今やっていることが高く評価されるかどうかは、運の要素もある。ニュートンアインシュタインのように生きている内に評価されなくても、コペルニクスのように後になってから評価されることもある。人々からの評価なんて移ろいやすいもので、結局は「分からない」のだ。

それは科学に限らず、人生そのものにしてもそうだ。その人間の一生の意味なんて誰にも分からない。だから人や社会からの評価に惑わされず、本書のタイトルの通り「好きなことをやれば良い」のだと思う。もちろん上手くいくとは限らないが、好きなことに思う存分熱中できたなら、それはそれで楽しい人生になるだろう。

物事を役に立つかどうかでという視点でしか見られないとしたら、何とも寂しい話だと思う。

 

      f:id:aramajiro:20161004015206j:plain

最後に、電磁気学の分野で大きな足跡を残した大科学者・マイケル・ファラデーのエピソードを紹介しよう。

ファラデーの研究が何の役に立つのかと質問した人に対して、彼はこのように切り返した。

 

生まれたばかりの子供は、何かの役に立ちますか?

 

数学者たちの楽園

             

久々のサイエンスネタ。

本書は、アメリカのご長寿コメディ・アニメ『ザ・シンプソンズ』とその脚本家たちの舞台裏に迫ったノンフィクションである。

ザ・シンプソンズは日本で言うならサザエさんに近いと言えば分かりやすいだろうか。基本的に一話完結で、時に社会風刺を交えて笑いを取るアニメだ。サザエさんと比べると社会問題に関する風刺が多く、その点ではこち亀にも近い。

    f:id:aramajiro:20160925070648j:plain

さて、『ザ・シンプソンズ』の脚本を書いている人たちの中には、アイビーリーグの大学で数学や物理の博士号を取ったようなエリートたちが大勢いる。彼らはザ・シンプソンズのストーリーの中の至る所に「数学ネタ」を仕込んでいるのである。しかもその数学ネタは単なるユーモアではなく、数学に関する極めて高度なメッセージやオマージュが込められていたりする。

例えばシンプソン一家の父親のホーマー・シンプソンが発明に目覚める回で、ホーマーが黒板に数式を書くシーンがあり、そこにはこう書かれている。

 

  3987¹²+4365¹²=4472¹²

 

数学に関心がある人なら、この数式に込められた意味が分かるはずだ。

この式は、かの有名な「フェルマーの最終定理」に反しているのである。

 

フェルマーの定理

      xⁿ+yⁿ=zⁿ  

 n>2の場合において、式の整数解nは存在しない。 

 

上記の式はフェルマーの最終定理を覆していることになるが、実はこれは脚本家が考案したトラップだったのだ。上記の式は、実際にはわずかの差で成り立っていない。しかし、桁数の少ない一般家庭用の電卓だと成り立っているように見えるという、とても高度な仕掛けなのだ。脚本家が数学の細部に詳しかったからこそ作られたユニークなオマージュだと言える。

 

他にも、登場人物の一人が壁に描かれたある数字を見て逃げ出すというシーンがある。

 

         1010011010

 

これを二進法の数列と見て、十進法に直すと666という数字になる。日本ではあまり意識しないが、666キリスト教では悪魔の数字として位置づけられているそうだ。つまり悪魔の数字に恐れて逃げ出したということなのだが、壁に描かれた数字を十進法に直し、その意味を理解して初めて逃げ出した理由が分かるというわけだ。逆に言うと、それが分からないと逃げ出した意味が良く分からない。

もっとも、ストーリーにとってこれらは非常に小さなオマケのようなもので、本筋とはほとんど関係がない。数学に興味も関心もない人達からすれば「どうでもいいよ、そんなの」と思う所だろう。確かにどうでもいいかもしれない。

脚本家達は色々な層にアニメを楽しんでもらうために、とても高度な仕掛けを作ったということだ。事実、こうした仕掛けは数学マニアや理系の視聴者層を夢中にさせたらしい。それは『ザ・シンプソンズ』の別の楽しみ方を作ったとも言えるのだ。あるいは、脚本家達は数学ネタを通じて、数学が無味乾燥でつまらない学問だと認知されている社会を風刺したかったのかもしれない。

 

            f:id:aramajiro:20160925070651p:plain

 

数学は不憫な学問だと思う。実生活で役立てられる機会も少なく、学生からは毛嫌いされる。数学者には昔から社会のはみだし者みたいな人達が多く、大抵変人扱いされてきた。しかし、彼らは彼らにしか見えない数学の世界に夢中になっていたに過ぎない。

ザ・シンプソンズ』の脚本家達も数学オタクである。彼らはアニメの中に、自分たちが関わってきた数学の世界を刻みたかったのかもしれない。面白さを伝えることはできなくても、数学の偉大な先人たちの足跡を残すことに意味を感じたのだろうか。数学オタクとして、単純に楽しんでいただけかもしれないが・・・。

ともあれ『ザ・シンプソンズ』の脚本家達は天才的な人たちばかりだ。正直言って、アニメの脚本とはこれほど細部まで練り込んで作るものなのかと思ったくらいだ。日本もアニメ大国だが、ここまで作り込まれたアニメは見かけない。だからこそアメリカで長く続いているのだろう。

数学に興味がある人だけでなく、クリエーター志望者も必見の本だ。

真のクリエーターの素晴らしさが分かると思う。

 

史記(7)(8)

       

史記には現代でも使われている故事成語熟語が多数記されている。日本人は史記が由来と知らずに使っていることも多い。

いずれも珠玉の名言ばかりで、これらを学ぶことは、つまらない教科書やビジネス書を精読するよりずっと勉強になる。史記の言葉を日常的に使いこなせるようになるだけで、間違いなく頭の良い人だと思われるだろう。

今回はその内のいくつかを紹介したい。そして、興味を持ったら是非史記を読んで欲しい。僕の文章力ではとても史記の壮大な魅力を全て伝えきることができないからだ。

史記は僕の心の中でも確実に生きている。

史記の言葉によって救われたことも一度や二度ではない。

人生に必要な知恵が全て詰まっていると言ってもいい。

まさに空前絶後の書物である。

 

一敗地にまみれる

一方的に敗北すること。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

凡人には大志ある人の心は分からないということ。

臥薪嘗胆

目的を果たすためにどんな苦労にも耐えること。

鼎の軽重を問う

責任ある地位に人物の能力を疑い、退任を迫ること。

完璧

完全無欠で非の打ちどころがないこと。

管鮑の交わり

互いのことをよく理解し合っている無二の親友との関係のこと。

奇貨居くべし

目の前のチャンスに飛び込むべきだということ。

逆鱗に触れる

目上の人の怒りを買うこと。

狡兎死して走狗煮らる

大目標が達成された後、功績の高い者が粛清されること。

国士無双

国を背負って立つただ一人の人物のこと。

先んずれば人を制す

チャンスには早く動いた方が上手くいくということ。

歯牙にもかけない

議論するにも及ばないということ。

四面楚歌

周囲から完全に孤立している状態のこと。

酒池肉林

堕落した贅沢、遊びのこと。

春秋に富む

将来が長い、年が若いこと。

宋襄の仁

無用の情けやいらぬ同情心のこと。

大逆無道

臣下の道に反し、道理に背く行為のこと。

大功を成すものは衆に謀らず

大成功する者は、他人に相談などしないということ。

太山は土壌を譲らず

トップの度量が広くなければ、大事業は達成できないとうこと。

蛇足

無用のことをして、元も子もなくしてしまうこと。

断じて行えば、鬼神もこれを避く

断固とした心構えで行動すれば、困難を克服できるということ。

堂に入る

学問などで一流の域に達していること。

時は得難く失いやすし

時間は手に入れるのが難しく、しかも無駄にしやすいということ。

鳴かず飛ばず

一向に目立った働きがなく、芽が出ないこと。

背水の陣

後がない状態で死ぬ気で戦うこと。

貧賤なる者、人に驕るのみ

貧しい者は、無礼で良いということ。

傍若無人

人目もはばからず、思いのままに振舞うこと。

右に出る者なし

並ぶ者がいないほど優れているということ。

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ

大きなものに従うより、小さくても頭になるべきだということ。

要領を得ず

肝心なことが分からないということ。