あるまじろの読書日記

「なぜ、本を読むんだい?」「そこに本があるからさ!」興味のあるテーマは歴史とサイエンス。アラサー。関東在住。文章力が低く時折エラそうな書き方になりますが、どうかご容赦ください。( ̄ー ̄;

史記(2)

             

実力主義か、年功序列か。

ルールの厳格化か、自由化か。

ビジネスや政治の場において今でも議論されているテーマだ。しかし、これらはもう2000年以上前の春秋戦国時代から既に議論されてきたことなのだ。

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戦国時代の秦に仕えた商鞅(しょうおう)は、強国を作るための明確な方策を持っていた。

その方策とは、法による支配の徹底である。彼は厳格な法治主義者だった。

彼がやった改革は以下の通り。

・五人組、十人組制度を作り、人民を相互監視させる仕組みを作った

・村人同士の個人的な争いを厳しく禁じた

・身分に関わらず功績のある者に高い地位を与え、成果をあげない者は罰した

・農業と織物業を国民の本業と定め、多く納めた者の労役を免除した

・功績のない公族の籍をはく奪した

このように、徹底した管理化実力主義を推し進めていったのである。当初秦の国民は猛反発したが、公族でも法を犯した者は処罰されているのを見て、法に従うようになったという。それまではびこっていた盗賊や山賊もいなくなって治安は保たれ、才能ある者が次々と秦に集まるようになった。暮らしも安定し、国民は大いに喜んだという。

商鞅は革新的な考えの持ち主だった。

当時の中国の主流は、徳による支配だった。孔子孟子を始めとする儒家が説いた、仁義礼のような資質によって国を治めることが最善とされてきた。また、国民の間にもそうした慣習が広まっていた。

しかし商鞅は、支配の形は時代によって変わるものであり、従来の慣習や教えにとらわれていては強国を作ることはできないと考えた。それまで当然とされてきた制度や慣習を破壊して新しい秩序を築くことが王者の使命であると説いた。

後々秦は全土統一に成功するが、その基盤を作り上げたのは商鞅の功績である。

もちろん、法の支配に問題がないわけではない。

商鞅は法を厳格に運用しすぎたせいで公族に恨まれ処刑されているし、中国を統一した秦も、法による支配に耐えかねた農民の反乱によって滅んでいる。秦の後を継いだ漢は、秦とは反対に儒教を官学として推し進めていった。

商鞅は間違っていたのだろうか?

僕はそうは思わない。結局、商鞅が説いたように「支配の形は時代によって変わる」というのが答えではないだろうか。儒教化が行き過ぎるととその反動で法が評価され、法が行き過ぎるとその反動で儒教が見直され、といったことを中国は繰り返している。世界全体でも恐らく似たような流れだろう。きっと時代に合わせた組織の在り方を考えることが大切なのだ。

会社で言うなら「今の若者はどうも・・・」と嘆くより、「今の若者に合った組織の在り方は何か」と考える方が商鞅的だと言えるかもしれない。

ちなみに、三国志曹操法家に近い思想の持主だったと言われている。逆に劉備は(作られた側面もあるだろうが)儒教的な思想の持主と言われている。三国志儒家と法家の戦いでもあったのだ。

三国志のもう一人の主役、諸葛孔明儒家的であり、法家的でもある。儒教的な劉備に仕えていながら、「泣いて馬謖を斬る」で知られるような厳格さも持ち合わせている。の良い所を知っていたのだろう。やはり中国史に残る天才である。こうした視点で見ると、三国志もまた違った面白さが味わえるかもしれない。