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あるまじろの読書日記

「なぜ、本を読むんだい?」「そこに本があるからさ!」興味のあるテーマは歴史とサイエンス。アラサー。関東在住。文章力が低く時折エラそうな書き方になりますが、どうかご容赦ください。( ̄ー ̄;

史記(5)

歴史 読書

             

今日は思想に焦点を当てて考えてみたい。

劉邦が興した漢の時代に広まっていた思想は以下の3つだった。

 

儒家

孔子孟子の思想。仁義礼智を重んじ、徳によって国を治める徳治主義の立場をとる。仁は他者に対する仁愛の心を持つこと。義は社会における正道を進むこと。礼は礼儀や社会規範を守ること。智は物事の善悪を判断する知性を持つこと。儒家はこの4つの性質を「」と呼び、これらの徳を学問や修練によって身に付けた王による統治(王道)こそが望ましいと説いた。基本的に性善説の立場を取っている。

法家

性善説を取る儒家と異なり、法家は性悪説の立場を取った。人間は生まれながらにして怠惰なものであると考え、社会秩序を形成するための厳格な法によって統治する法治主義を説いた。王の感情によって功罪が決まるような政治を批判し、実力主義信賞必罰を推進していった。また、過去の王の統治を模範するのではなく、現実に即した合理的な統治を基本とした。

道家

老子荘子自然主義思想。自然のまま、ありのままに生きることを説き、人間の作ったルールである法や、儒家の形式的な礼儀や行動を批判した。道家は、人は自然の法則に従って生きるべきであり、他の何物にもとらわれるべきではないとした。学問や知識ですらも無用であると説き、国家は余計な政策を行ったりせず、ただひたすら自然の道(天道)に従うことで正しく国は治まると考えた。

さて、この3つの思想の内、漢初期に広まったのは道家である。

儒家は秦の始皇帝焚書坑儒で弾圧されて勢いを失っていた上、厳しい法で束縛する秦の統治にも人々はウンザリだったのだろう。その代わりに道家が台頭してきた。

しかし漢の武帝儒家を重んじ、儒学国学と定めた。

理由は、武帝が道家の官僚を好んでいなかったことが挙げられる。道家は自然が最上であると考えるので、皇帝が相手でも遠慮なくずけずけと正論を言う。こうした官僚の態度に嫌気がさしたため、武帝儒学に傾倒していったのだと思われる。

法家は秦の統治の失敗から停滞したが、漢の中でもその思想は継承されていった。漢の時代にも不正を行う官民が後を絶たなかった時期があり、そうした時には法を厳格に運用する官僚たちが重用された。武帝に仕えた張湯という人物が特に有名である。

 

こうして見てみると、3つとも現代に生きている思想であることが分かる。

やたらと儀礼や道徳を重んじる人は儒家だし、ルールの厳格化や実力主義を進める人は法家的である。そして、そうした形式やルールを嫌って、心の赴くままに生きる人はいかにも道家的である。二千年以上昔から、この手の問答はあったのである。

僕は今の日本では道家的思想が台頭していると見ている。

嫌われる勇気」という本がヒットしたが、あれは「周囲の目を気にせず、自分の道を堂々と進め」というメッセージであって、とても道家に近い教えなのだ。

道家の教えは混乱期に流行る傾向にある。

後漢末に多くの信者を集めて、黄巾の乱を起こした太平道も道家の流れをくんでいる。王朝が腐敗して生活に大いに困窮していた当時、庶民にとっては道徳などどうでも良くなり、太平道の教えが唯一の救いに思えたのだろう。

同じ時期に知識人たちの間では「清談」と呼ばれる哲学談義も流行した。長い戦乱や政治腐敗に嫌気がさし、俗世間から離れて全く関係ない話題に没頭した人達がいたのだ。(その内特に有名な人達は「竹林の七賢」と呼ばれている)格好つけているが、早い話が引きこもりニート世捨て人のようなものである。現代的な現象かと思いきや、ずっと昔からいたのである。

史記を読んでいても良く分かるが、結局歴史は形を変えて同じようなことを繰り返しているのである。

やはり歴史は面白いし、学ぶ意味があると思う。