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あるまじろの読書日記

「なぜ、本を読むんだい?」「そこに本があるからさ!」興味のあるテーマは歴史とサイエンス。アラサー。関東在住。文章力が低く時折エラそうな書き方になりますが、どうかご容赦ください。( ̄ー ̄;

完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯

             

前回とはチェスつながりで、同じくチェスの元世界チャンピオン、ボビー・フィッシャーの生涯を記録したもの。だが、輝かしいカスパロフの人生と比べると、フィッシャーのそれはあまりに悲惨だ。

ボビー・フィッシャーはアメリカに生まれて早くにチェスと出会うと、驚異的な集中力と没頭によってすぐに才能を開花させた。出回っていたチェスの棋書はほぼ全て読み漁り、強豪の大人達を倒し続けて神童と呼ばれた。一流プレーヤーの証であるグランドチャンピオンには当時史上最年少の15歳で選ばれるなど、早くからチェス界では有名な存在だった。

当時のチェス最強国はソ連で、英才教育の効果もあって優秀なプレーヤーを数多く輩出し、世界一のタイトルを独占していた。一方アメリカではチェスはあまり盛んではなく、あくまで愛好者達が趣味で指しているに過ぎなかった。そんな中から彗星の如く登場したのがフィッシャーだった。

若い彼がたった一人でソ連のプレーヤー達を次々と倒していく姿は、冷戦下のアメリカ人達のナショナリズムをも刺激し、チェスブームを巻き起こしていった。フィッシャーは1972年、アイスランドで行われた世界タイトルマッチで当時の世界チャンピオン、ボリス・スパスキー(ソ連)に勝利し、アメリカ人として初の(そして今に至るまで唯一の)世界チャンピオンとなったのである。(当時29歳)

この業績の偉大さを、チェスを知らない人達に説明するのは難しい。「たった一人で」と書いたが、実はチェスは団体競技の側面もある。対局中は1対1だが、それ以外の時間は仲間と集まって自由に戦略を練っても良いことになっている。当時のチャンピオンはスパスキーだったが、それ以外にも優秀なプレーヤーの多いソ連は、最高レベルの頭脳を結集してタイトルマッチに臨んでいたのである。

一方、ボビー・フィッシャーにはそのような仲間もおらず、実質一人でソ連チームと戦わなければならなかった。これはとんでもないハンデだが、それを覆してタイトルを獲得したことこそフィッシャーの偉業である。レベルが高すぎて、チェスの中身に関しては何も言えないが、世界のチェスプレイヤー達がこぞって称賛するほど芸術的だったという。チェス界のモーツアルトと言われたのは誇張ではなかった。

さて、ここまで輝かしいフィッシャーの経歴を綴ってきたが、輝かしいのはここまでだった。タイトルを獲得して以降(本当は幼少期からだが)フィッシャーは妄想に憑りつかれたり、奇行に走ったり、公然と暴言を吐くようになる。世界一となってから忽然とチェスの大会から姿を消し、放蕩生活を送るようになる。詳しくは本書を読んでほしいが、栄光を掴んだ男の没落劇にしてもあまりにも悲惨すぎて、読むに堪えないと言ってよいほどだ。天才にはありがちなことではあるが、普通に日常を生きることが彼には最も難しかったようだ。

自身の振る舞いが原因でフィッシャーは友人をほとんど失い、アメリカのチェス界からも永久追放処分を受ける。違法行為でついにはアメリカ政府からも重罪人として追われる身にまでなってしまい、世界各地を潜伏して生活するようになる。数少ないチェス仲間と練習のチェスは指していたようだが、大会に出場することはなく、最後はアイスランドで亡くなった。(64歳)つまりボビー・フィッシャーはチェスの世界チャンピオンとなり、誰にも敗れることなく死んだのである。

稀有の才能に恵まれた人間が、なぜこれほどみじめな半生を送ることになったのか。原因はフィッシャー自身の行動や発言にあるわけだが、やはりよくわからない。ボビー・フィッシャーと一番似ているのは、発明家の二コラ・テスラだろう。彼も天才的だったが、一方で妄想家であり、マッドサイエンティスト的だった。

フィッシャーの歪んだ精神は、幼少期のトラウマが原因とも言われている。確かにフィッシャーの幼少期は豊かとは言えない。母子家庭で、母親は優秀な人だったが、やはりどこか変人だったように思える。

周りの人間達にも原因があった。特に世界タイトルを取ってからフィッシャーの周りに集まってきたのは、金目当ての女や、フィッシャーの名を使って金儲けを企む人々ばかりだったからだ。フィッシャー自身に責任があるとはいえ、こうした部分もフィッシャーの人間不信に拍車をかけたように思う。

フィッシャーはチェス界の伝説だが、いくら天才でも、個性があっても、人に好かれなければ決して幸福にはなれないことを教えてくる存在だ。誰にも負けない個性や強みを持てとよく言われるが、個性と才能に恵まれた人間の生涯はそれほど華やかなものではない。

ちなみに、ボビー・フィッシャーの世界タイトルマッチに焦点を当てた最近の映画に『完全なるチェックメイト』がある。本書とあわせてこれもオススメだ。本も映画も、チェスを知らなくても楽しめる。